『水俣病誌』への反響



○熊本日日新聞  2月10日
 水俣病の患者補償実現や行政責任追及などに奔走し、一九九九(平成十一)年に死去した川本輝夫さんの裁判での証言や機関紙に寄せた記述、発言などを収録した『水俣病誌』がこのほど出版された。「闘士」と評された川本さんの水俣病事件闘争史になるとともに、新たに見つかり掲載された日記からは、悩みや迷いを抱えながら運動を進めていた人間的な側面をうかがい知ることができる。



○西日本新聞 2月13日
 川本さんは劇症型水俣病とみられる父の死と自身の発病を機に、潜在患者の発掘を開始。七一年に自身の患者認定を受けた後、補償を求めてチッソ本社(東京)に乗り込み、一年九カ月にわたる直接交渉で「補償協定」実現に尽力。患者運動の象徴的存在になった。(『水俣病誌』は)支援者四人が、川本さんの死後、約六年半をかけて編集した。激しい言動から「闘士」のイメージが強いが、チッソと交渉していた当時の未発表日記には「何か恐ろしく巨大、そして形のない幻に闘いを挑んでいるのではないかとさえ錯覚を起こす」(七二年一月十一日)と、内面の不安をつづった場面なども紹介されている。



○朝日新聞西部本社版 2月 14日
 川本さんの原点は自主交渉にある。本の序は、その一部を再現した。チッソ社長に血書を迫り、水俣病(未認定)で死んだ父親の最期を語って聞かせる場面は圧巻だ。本書は第1、2部と資料編で構成。第1部は、自主交渉や未認定患者運動に関する川本さんの実践をまとめた。第2部は水俣病医学や認定制度についての考察が中心。水俣病関連の公文書、裁判の判決文、年表などの資料も充実している。解説は、水俣病の記録映画で知られる土本典昭監督が書いた。公式確認から50年になる水俣病問題を考えるうえで、格好の本に仕上がった



○読売新聞西部本社版 2月 9日
『水俣病誌』では、支援団体の機関誌への提稿文を再掲したほか、自主交渉のやり取りや裁判での証言を収録。遺品から妻ミヤ子さん(75)らが見つけた日記の一部も収めた。
 高倉史朗さんは「(編集作業を通じて)川本さんが水俣病問題を問い直し、被害者補償に向き合うべきと、言っているように感じた。国家責任や行政の施策の在り方に一石を投じる本になったと思う」と話している。



○毎日新聞西部本社版 2月.22日
 水俣病誌は、川本さんが支援団体の機関誌に掲載した著述や講演録、交渉記録のほか、自主交渉中にチッソ社員に暴行したとして72年に起訴された事件(後に公訴棄却が最高裁で確定)で東京地裁に提出した供述書などを収録。死後に自宅から見つかった日記の一部など初出7点も含まれる。川本さんが「何かしゃべることも書くことも空(むな)しいというか、ウソになってしまう。何が自分の本当の姿なのか?」(72年2月11日)と悩み抜いた姿も記されている。「あの時はこんなことを考えていたのかと本で初めて知った部分が多い」と妻ミヤ子さん(75)。本完成直後、「父ちゃん、いい本ができたね」と仏壇の川本さんに語りかけたという。



○中国新聞読書欄他(共同通信配信) 3月26日  栗原彬  生き方問う闘いの記録 
 川本輝夫は、水俣病による父の非業(ひごう)の死と自らの発病を機に闘いを始める。潜在患者の発掘と認定申請運動、自主交渉、裁判などを通して、チッソ、熊本県、国の加害責任の追及と患者の救済、とりわけ未認定問題との取り組みに精魂傾けた。
 本書の冒頭に収められた一九七一、七三年のチッソとの自主交渉でのやりとりに、川本輝夫が生涯をかけて追及した問いが、凝縮して現れている。論理と情念を尽くして償いを迫る彼の言葉がふっと転調して、島田賢一社長に語りかける。 「(社長の帰依する)禅宗は何を教えよるですか?」「あなたの座右の銘は何ですか?」「趣味は一番なんがあんた好きですか?」「どんな本を読んで一番感銘をうけたですか。あんたが読んだ本と、小崎さんの死とか松本さんの死とかと結びつかないですか。読んでみて、ぜんぜん無縁ですか?」 すなわち、川本輝夫にとって、水俣病は「公害問題」にとどまらない。自他の双方に「人間がどげん生きないかんか」を問うている。チッソ、県、国にも人間を見取り、人間として損なわれたものの償いを求めるばかりか、加害者たちの人間性さえも救い出すこと。 本書に収められた裁判の供述書から日記に至る闘いの言葉は、水俣病とともに生きる生の内側から練り上げられた理論と生活感覚に裏打ちされた実証によって、空前の生命破壊の全体像を鋭く深くとらえた、たぐいまれな記録となっている。
 水俣病公式確認から五十年のいま、水俣の水源地に産業廃棄物処分場建設問題が起こり、県・国の責任を認めた最高裁判決を受けて新たに認定申請を始めた患者が三千数百名を超える。「水俣病は終わっていない」ことが明らかなとき、参照点として本書のもつ意義は大きい。
 しかも、長崎原爆の被爆者、カネミ油症事件の被害者ら、近代の生命政治の「人体実験」の被害者たちへのまなざしの広がりの中で、「ひとり水俣病患者だけが救われればよいのではない」という川本輝夫の言葉は重い。(明治大教授)  


○色川大吉さん
 2月18日の川本さん7周忌に間に合って本当に良かったですね。東京でのあの"偲ぶ集い"から7年目、よくぞ頑張られて、妥協なき、見事な大著を完成されました。執念がなかったら出来ない仕事だったと思います。それに、事件運動史と個人史とを組み合わせた大年表に大きなページをとったこと。根本資料(史料)を抜粋して収録されたこと、メインを川本さんの言行録、記録の核心部分に集中したこと。解説を、"彼をもっともよく識る"土本典昭さんに書いてもらったことも、とっても良かったと思います。
 写真といい解説文といい、すばらしい内容です。この良書が広く読まれることを願う者ですが、こういう時代ですから、なかなかたいへんなことだろうと危惧します。 しかし、長い目で見れば日本の出版史の上に、また水俣病事件史の上に、その研究史の上に燦然と輝くものになるでしょう。
                          2月18日  8回忌の朝 (編者へのお手紙)



○岡本達明さん
 川本さんの最晩年は新たな質の孤立と孤独の中にあったと思いますが、その存在の輝きは歳月とともに増しています。 本書の意義は、大きく言って二つあると思われます。
 その一つは、人間川本輝夫のありのままの彫像を彫り出したことです。「うん、これが俺たい」と川本さんが呟くのが聞こえてくるような気がします。形容詞を切り捨てた実体のみの構成しか歴史を語ることはできないことを本書は改めて示しました。 その二つは、誰も手をつけなかった水俣病闘争史の嚆矢(こうし)を飾ったことです。闘争史の記述を始めるのに川本さんを抜きにすることができないのは自明ですが、それだけに編者の力量が問われます。本書には余計な力みが見られず、闘争史の重みを記録化することに成功しています。また、水俣の民衆の「水滸伝」でもあった闘争の特質を生き生きと示しています。
 この二点は、二つにして一つのことであり、一つにして二つのことであります。闘争は優れて人間の営みなのでしょう。 本書は水俣病を調べる者にとって必読の書であり、長く後世に残るでしょう。
 長い間の御努力、本当にご苦労さまでした。         2月19日 (編者へのお手紙)